今日は、竹日忠司さん おやじさんの告別式でした。
おやじさんは、新潟生まれで、満州に憲兵として出兵しました。
戦後、新潟に戻り 闇市を開き、闇米を汽車で上野に運んで帰りに、なると バナナを運んでいまし
た。たまたま、上野の骨董屋を知り、それからは新潟から骨董品を運んでいたのが、古道具屋の始
まりだと聞きました。
店を持たない古道具屋が売る場所が欲しい、それが骨董市の始まりでした。
80歳を過ぎてもトラックを運転し東京ー新潟を飛び回っていました。
「自分のために、人の喜ぶ事をしませう」「お客さんを絶対 だまさない」この言葉をよく覚えています
今日は沢山の方が弔問に訪れ、「本人の歌う佐渡おけさ」でお別れを致しました。
お疲れ様、おやじさん ありがとう おやじさん
お仕事の先輩を
お送りする事は
悲しいことですが
教えにの中にいつまでも
生きているのではないかと思います。
何時もコメント有難う御座います。
竹日さんとは、22年前にお会いしてから、いろいろ教えて頂きました。
桐生天満宮骨董市を立ち上げの時もお世話になりました。
人との出会いは、人生の中でとても大事なことを知りました。
引越しをしてから骨董市をご無沙汰していました。竹日さんがお亡くなりになっていたのですね。
東郷、川越、栗の家、寒い日、暑い日、いつも元気に汗をかいて荷物をおろしていましたね。
どうしているかと気にはしていましたが、もうあの姿がみられないのですね。家内達と一緒に撮った
写真を見ながら故人を偲んでいます。ありがとう、竹日さん。