小学校の廃品回収

今朝、小学校の廃品回収がありました。

8時半から、校長先生をはじめ、先生方、PTA、約100人近い人が

参加し、古新聞 缶 ダンボール 雑誌を回収しました。

皆さんの御協力により、かなりの量が回収できました。

たいへん御苦労さまでした。

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世界遺産 日光の旅Ⅱ

日光の宝物殿の日本庭園は茶室もあり

落ちていた素晴らしい庭園です。

紅葉には、まだ早く 11月の上旬が見どころだそうです。 

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世界遺産 日光の旅

今回、特別展で、徳川三代将軍 家光公の大猷院http://www.rinnoji.or.jp/keidai/taiyuin/oku.htmlを見て来ました。

骨董品を扱っている私には、美術品、建築、仏像には、ため息の出るほど驚かされました。

ぜひ、この機会に大猷院を、訪れて見てはいかがでしょうか。

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看板の大きさは、畳、一畳あるそうです。

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四天王 

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門の天井

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風神

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雷神

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矢を持っていますが、ここが破魔矢の始まりで、膝に象があり ここから、(ひざこぞう)が生まれた言葉見たいです。

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一番奥の本殿で、ここは将軍様のみ入れた建物です。

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この奥に家光公が眠っています。

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コスモス畑

         朝、散歩していましたら、コスモスが沢山咲いていました。

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9月の上州会の風景

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9月の上州会は、土曜日で業者も少なめで

早めに終わりました。

私も、子供の運動会で早めに帰路に着きました。

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古い煙草入れと簪

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いつもお馴染みの、たかおちゃんと高橋君^^

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備前焼人物

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時代物 蒔絵輪島文箱

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象牙蒔絵香炉

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        丸健さんと会主さん

谷川岳 登山

先週末、サッカークラブの子供達と谷川登山に出かけました。

私は、子供達のサポート役で出かけたのですが、

登山を軽く考えて、逆に子供達にサポートされた次第です。

なんと、小学2年生が、私より前に登頂しました。

私は、皆より20分遅れで^^ 自分の体力に驚いたしだいです。

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肩の小屋

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山頂トマの耳からの風景

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お山の大将

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残暑厳しい9月の桐生骨董市

朝から、残暑厳しい骨董市でした。

しかしながら、沢山のお客様にご来場いただきました。

世の中、円高 株安 政治が安定しない中 

骨董市には、朝から古道具ファンが詰掛けてくれます。

たいへん ありがたいことです。

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          夏の装い さっちゃん

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真夏の上州会

朝から、暑い中 上州会がありました。

本日は、暑く夏休みのせいか、業者の数も少ない様でした。

しかしながら、長野 山梨 栃木 九州の遠方からの業者もみえました。

群馬 伊勢崎は、「暑い」!そうです。

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        生荷 到着!!

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    上州会の帳場さんです。

夏休みに伊香保へ

やっと夏の休みが取れ、リーズナブルな旅館が予約でき行って来ました。

伊香保温泉は近く、夕方 出発し、朝早めに帰れますので、便利です。

昨日、伊勢崎は日本で最高気温レベルでしたが、伊香保はかなり暑さが内場でした。 

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知人で石段でお店をやっております。二軒とも主人の手作りだそうです。

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        知人の二店目のお店で、石段はからすぐ横にあり、とても可愛いお店です。

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「軍用旅舎」と会津戦争

沼田の利根町に骨董品を買取に行ってきました。

「軍用旅舎」と書いてある看板を購入しました。

このお宅は旧家で、現在の主人の、お話しでは、

この看板は、会津戦争の時、官軍が会津藩を攻めるさい 司令官の人々を

宿泊させた時に作ったとのことです。その他の兵は、野宿でだったそうです。

なにげない素朴な看板ですが、日本の歴史が刻みこまれています。

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会津戦争と白虎隊                                                        戊辰戦争にあたって、薩摩藩・長州藩を中心に編成された新政府軍首脳にしてみれば、会津藩攻撃は松平容保に殺された志士たちの恨みを晴らす機会として位置づけることにもなった。東北諸藩の大名たちは、新政府軍が会津を攻めるのは必死とみて奥羽列藩同盟を結び、さらに、越後などの藩が加わって奥羽越列藩同盟となり、新政府軍と対立し、会津藩を支援することになった。1868年、松平容保は軍制改革に着手。藩士を年齢別に組織する4隊編成をつくる。
●玄武隊・50歳以上、●青龍隊36~49歳、●朱雀隊18~35歳、●白虎隊16~17歳の4隊である。このほかにも藩士以外の郷士から志あるものを募集し、全藩あげての抵抗戦の構えを組織した。しかし、流れは「官軍」としての新政府軍の側にあり、奥羽の関門ともいうべき白河城、さらに平城、二本松城、猪苗代城が次々と落とされ、いよいよ鶴ヶ城(若松城)が攻められる段となった。

白虎隊にも出撃命令が出て、新政府軍の会津城下への侵入を防ぐため戸ノ口原で戦い、敗れ、敗走中、20名の隊士がはぐれてしまった。これが「白虎隊の悲劇」につながる。城へ戻る道が新政府軍によって押さえられたため、飯盛山に出たところ、鶴ヶ城が焼けているのが見えた。これを落城と勘違いし、「城が落ちてしまった以上、生きていてもしかたがない」と、全員、そこで自害した。のち、一人が蘇生して、その状況が知られ、「白虎隊の悲劇」として語り伝えられることになった。じつは、このとき、鶴ヶ城は焼けておらず、城下に放たれた火による煙が城の上にたなびいていただけであった。結局籠城1ヵ月後,松平容保は降伏し、会津戦争は終わった。

                      史跡若松城跡より